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蛇の舌先

「空っぽの要塞へようこそ」
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:2007:03/22/21:45  ++  日記

「どうしよう」
一言で言うとそんな感じ。
で、
「お金がない」
一言で言うとそんな事実。

仕様が無いので仕事。小樽全域を回って来ました。
地球岬を走り回った経験や、高校の頃自転車で走り回った経験等が生きた。
要はそれだけ急いでいた、という事。写真を撮る余裕は無かった。惜しい事をした。
が、
人生何が役立つかわからない。
中央分離帯が一番安全なんだぜ?

目先のガソリン代が減るのも気になる。神経質なんだろうか。必要経費のはずなんだけれども。
スクーターの復帰も考える時期になってきた。
これは必要経費のはず。
煙草の代わりのガムは?
これも必要経費のはず。
スニーカーは?
これも必要経費のはず。趣味では無いのだけど。
レンタル代金は?
これも必要経費のはず。趣味と実益を兼ねて、だ。

明日、
内定(?)決まったトコに電話をしてみよう。

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:2007:03/21/23:56  ++  昨日→今日

面接を受けた→訳がわからぬまま内定?貰った。
何がなんだかさっぱりというのが本音。

成れ染めから始めると長くなる、が、そういう運びになった。
「腕ひっ捕まれた」が「首ひっ捕まえた」に変わったというか、とにかくそんな感じ。
詳しくはまた、機会があればにしようかな。

縁談を持ち掛けられる(仕事先にて)→お、奥様!
何がなんだかさっぱり、というのが本音。

文字通りです。
写真を持って来て、との事。
遊びには行きますと答えました。

人に歴史あり、という事を思い知る。何も無い所からポッと出る訳は無いのだ、と。

と、すると、
“筋道”ってなんなのだろう、歩いた足跡だろうか、振り返るモノなのだろうか、それともあらかじめ決めておくものだろうか。
例えるなら、
ゴルゴダへの道筋は今も尚続いているのだろうか。
だとしたら、十字架を負った“彼”の意図した所を沿っているに過ぎないのだろうか。
2000年以上横道に逸れているとしたら?

「あの頃は辛かったですね」と俺は言う。
「それがあたしの顔を作ったのよ」と貴方は言う。
刻む事を誇りとするか、否か。

…何がなんだかさっぱりだ。が、

風俗誌の入社は断っておいた。

:2007:03/19/23:26  ++  らせん

たぐる
よせる
さぐる
おりる
のぼる
つづる

かさなる
つらねる
とぎれる
つながる

ひもとく

ぼくはぼくであるように
きみはきみであればいい

はなれる
こわれる

うまれる

:2007:03/18/12:48  ++  朝の過ごし方

 トラックバック。
 
 ちょっと前までは二日酔いの気だるい時間であった。
 つまり、何かしたくても出来ないという時間であった。
 さらに言うなら、朝とも呼べない日の高さである事が多かった。どちらかというと昼間、目覚める事が多かった。
 目覚めて何をする訳でも無く、打ち上げられた海洋生物のように、鉛を流し込まれた感覚の中で溺れていた。

 そう、何かしたくても出来ないんではなくて、「やろうとしない」という無益極まりない時間であった、そしてその原因を作り出しているのは俺だ、と言い換える事も出来るから、最近は有益に過ごそう、と意識している。
 それはさっきの日記にも書いた「工夫」と呼べるモノであるかも知れない。とにかく、目覚めている間は俺は行動する事が出来るのだ。行動出来るのであれば、行動するべきなのだ。
 それに気付く事が出来たのだから、ひょっとしたらまんざら無益という訳でも無いのかも知れない。有益さを生み出す無益さ…これはこれで面白い題材であるが、別の話になるので、別の機会に。

 結果、朝とも呼べない日の高さの時刻に、最近目覚めている。
 ここ一週間は、頭の上の藍から青へと変わっていくグラデーションと、それを切り裂くアラビアンナイトのような月、張り詰めた冷気と白い呼気、氷に近い雪を踏みしめる乾いた音、灯りがついている方が稀な住宅街、といった時刻を過ごしている。
 
 異邦人にでもなった気分である。
 トラック野郎と新聞配達のバイクと、コンビニが支配する世界。
 犬の散歩をする方も居るには居るが、見かける事はごく稀で、見かけたとしてもすれ違うのみ。道を往く時はほとんど独りと言っていい。
 そういう状況であるから、ほぼ無音なのである。声を発する機会も無い。無理矢理に機会を作る事は出来得るであろうが、それは迷惑というモノだ。
 己の身体から発せられる音-それは足音であり、鼓動であり、呼吸である-が、唯一といっていい言語。己の内から、外から生み出される、己の状態を告げる言葉。
 二日酔いのそれとはまったく違う言語である。俺は吐きたいのではなく、走りたいのだと告げる、言葉。
 体験し得なかった時刻が感情を生み出し、体験し得なかった言語が感覚を彩る。
 日が高い時には体験出来ない出来事に、満ちている。いつも見ている風景、いつも過ごしている時間とはまったく違った彩りを楽しめている。こういう時間が好きなのだという事を、俺は発見した。

 つまり、
 「如何に過ごしているか?」と問うならば、
 「有益に過ごせている」と言うべきか。

:2007:03/18/10:16  ++  消費

とタイトルをつけたものの、広義過ぎてよくわからないので自分の身に置き換えてみる。

俺は食物を消費する→生きる為→死にたくないから?
俺は時間を消費する→生きているから→常に消費し続ける
俺は金銭を消費する→生きているから→生きるにあたって欲求(=需要?)があるから→対価として手にしたモノを消費する(それが目的?)→充当すべく俺は金銭を消費する→…

なんだか「生きる為」と言うのが必ず何処かに入ってくる気がする。生きるからこそ消費する?=消費しなければ生きていけない?
最初の二つに関しては仕方が無い事である、と言えそうだ。何故生きていたいか、を問うのは、ヤボというものだ。
しかし、最後の一つ。これは考える必要があるかも知れない。

時間以外の大抵は金銭で手にする事が出来る。
うち、食物に関しては、「生きる」事が目的であるから、これは仕方のない「金銭の消費」だろう。
問題は、その他の欲求に対して、だ。

モノには有用性がある。
それはそのモノが生まれた「本来の目的」
今目に留まったモノをあげつらうと、ハサミは紙を切るモノだし、椅子は座るモノ、といったように。
これらを「金銭を対価として」得るという事は、そのモノが持つ有用性を得る、と言う事か。
つまり、目的があっての消費、と言う事になる。

ところが、モノは応用する事が出来る。
ハサミで人を刺し殺す事も出来るし、椅子でぶん殴る事も出来る。
それはそのモノの「有用性」から離れた使い方ではあるけど、そういう風に使える、というのも事実であろう。
つまり、消費に対する対価、と言うモノは、目的によって随分異なるモノになるのかも知れない。

しかし、
ぶん殴る為に椅子を買うなら、同じ価格の竹刀か何かを買った方がいいし、
刺し殺す為にハサミを買うなら、同じ価格の包丁か何かを買った方がいい。
そもそも例えがネガティブなので、ハサミを使うなら刺し殺す為でなく、紙をサクサク切って手芸でもやった方が前向きだし、椅子を使うなら腰を据えて机に向かって、何かをした方が前向きだ。
そうする事によって、「有用性」は「対価」を越えるのではないか。
そして、対価を越える、という事は、消費した以上の価値を得る…つまり、己の「利益」になる。

何か一捻りする工夫と、努力をすれば、「有用性」を越える事が出来る、はず。
少なくとも「有用性」を満たす使い方をしなければ、消費した分に無駄が生じる。
そして、生きる為には消費しなければならない。

つまりは、
有用性を見極め、一捻りする事が、人生を豊かにするのであろう。

一捻り。
それをいかにして、得るべきか。