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:2006:11/09/19:36 ++ 我思う、故に
人殺しか、自殺の方法を考えるのに似ている。
「誰に(あるいは自分)?どのくらいの規模で?目的は?手段は?直接的に?間接的に?使うモノは?それを主に使うのか?それとも補佐として使うのか?苦痛を伴う形にするのか?いっその事楽にいくのか?通知するのか?それともしないのか?するとしたら媒体は?特定の誰かに送るのか?それとも公布して知らしめるのか?終わった後逃げるのか?それとも立ち向かうのか?その場に留まるのか?もう一度立ち寄ってはみるのか?」etc、etc。
いや、どっちにせよ実践する訳じゃ無いし、誰かに当てはめる訳でも無い。「考えてみる」だけ。それだけなら面白いしね、いい暇潰しになる時もあるんだ。「考えるだけ」なら誰かを傷つけるわけじゃあないし、モノの見方の一つ、みたいな感じかなぁ。
後者に関しては、前は結構考えてはいたけどね。
本当にそう思ったんなら、今ココにこうしてる訳は無いって事で。
つまり、何の話かって言うと、「何かを書く、表現する事は、それに非常に似ている」って事。
あくまで俺の場合は、だけどね。
で、風呂敷を広げすぎて結局モノにならなかったりする訳さ!(笑)
うまくいってるのは詩くらいかなぁ。それでも「長い」って言われるんだけどね。
文章構成能力が低いんだろう、きっと。もっと勉強しなくちゃね。
それでも、詩はわりかしうまくいってるんじゃないかなぁ、と。
なんでかなぁ、とちょっと考えてみた。先述の「人殺しか自殺に~」方式で。それが一番うまくやれる方法だしね。
で、結論。
「自分をある程度限定しているから、うまくいっていた」
以上。
そこに至るまでのプロセスは、またも長くなるから「今回は」割愛。
ただ、ある程度ならば限定する方がうまくいったりするんだなぁ、と。
行き過ぎるとここに書いたりする訳だ。なるほどなるほど。
それに、書く事によって鮮度を保つ事が出来る。まぁつまり、残ったまんまになって読み返す事が出来るしね。
前みたいに「うわぁ、実現出来てねぇじゃねぇか!ここに文章書いている奴はアホじゃねぇのか?」って、自分で思わないようにしなくちゃ。うん。
それじゃまた。
「99通りの死に方。神様、俺はまだ、アンタに会う準備が出来てない」
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