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蛇の舌先

「空っぽの要塞へようこそ」
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:2007:03/18/10:16  ++  消費

とタイトルをつけたものの、広義過ぎてよくわからないので自分の身に置き換えてみる。

俺は食物を消費する→生きる為→死にたくないから?
俺は時間を消費する→生きているから→常に消費し続ける
俺は金銭を消費する→生きているから→生きるにあたって欲求(=需要?)があるから→対価として手にしたモノを消費する(それが目的?)→充当すべく俺は金銭を消費する→…

なんだか「生きる為」と言うのが必ず何処かに入ってくる気がする。生きるからこそ消費する?=消費しなければ生きていけない?
最初の二つに関しては仕方が無い事である、と言えそうだ。何故生きていたいか、を問うのは、ヤボというものだ。
しかし、最後の一つ。これは考える必要があるかも知れない。

時間以外の大抵は金銭で手にする事が出来る。
うち、食物に関しては、「生きる」事が目的であるから、これは仕方のない「金銭の消費」だろう。
問題は、その他の欲求に対して、だ。

モノには有用性がある。
それはそのモノが生まれた「本来の目的」
今目に留まったモノをあげつらうと、ハサミは紙を切るモノだし、椅子は座るモノ、といったように。
これらを「金銭を対価として」得るという事は、そのモノが持つ有用性を得る、と言う事か。
つまり、目的があっての消費、と言う事になる。

ところが、モノは応用する事が出来る。
ハサミで人を刺し殺す事も出来るし、椅子でぶん殴る事も出来る。
それはそのモノの「有用性」から離れた使い方ではあるけど、そういう風に使える、というのも事実であろう。
つまり、消費に対する対価、と言うモノは、目的によって随分異なるモノになるのかも知れない。

しかし、
ぶん殴る為に椅子を買うなら、同じ価格の竹刀か何かを買った方がいいし、
刺し殺す為にハサミを買うなら、同じ価格の包丁か何かを買った方がいい。
そもそも例えがネガティブなので、ハサミを使うなら刺し殺す為でなく、紙をサクサク切って手芸でもやった方が前向きだし、椅子を使うなら腰を据えて机に向かって、何かをした方が前向きだ。
そうする事によって、「有用性」は「対価」を越えるのではないか。
そして、対価を越える、という事は、消費した以上の価値を得る…つまり、己の「利益」になる。

何か一捻りする工夫と、努力をすれば、「有用性」を越える事が出来る、はず。
少なくとも「有用性」を満たす使い方をしなければ、消費した分に無駄が生じる。
そして、生きる為には消費しなければならない。

つまりは、
有用性を見極め、一捻りする事が、人生を豊かにするのであろう。

一捻り。
それをいかにして、得るべきか。
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