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:2007:01/11/20:24 ++ “瞳を閉じて”
思った事をそのまま言うという事は、良い事か否か。
伝わった事をそのまま解釈するという事は、良い事か否か。
どうも隙間が存在する気がする。
“何で埋めるのか”
“何処に線を引くのか”
それを最初にやった奴が、個性がどうとか言い始めたんだろうと思う。
誤解や差別といった足跡を残して。
それは尊重されるべきか、否か?
尊重される、という玉座に腰かけるべきか?
卑下される、という地べたに膝をつくべきか?
どちらかでないと見えない世界がある。
人の上に人が居て、人の下にも人が居る。
語源は“背中合わせになったヒト”らしいから、良く出来た物だ。
だから、誰かと誰かが向き合うまさにその時、その瞬間に、隙間は存在するのだろう。
最小にして最大のマトリックス。
瞳の数だけ世界がある。
“神”と呼ばれるモノがこの世に居るのなら、それら全てを超越する存在で無くてはならぬ。
それは、尊重と卑下を折り重ね、瞳と瞳の間にある“隙間”を駆けぬけていく。
愛も憎しみも笑う事も泣く事も行くも留まるも愚かしくも賢くも・・・etc.etc.
全ての軌跡を螺旋に秘め、子羊も豚も、等しく敬虔な存在とする。
過去と現在を、未来へと繋げる遺伝子として。
それは、1を0へと風穴を空ける、ただそれだけの為に生まれた、フランチャイズ化されたフラジャイル。
俺は境目マニアックス。
45口径分の隙間があれば、それでいい。
だから、
思った事をそのままに。
伝わった事をそのままに。
ただ振り返り、引き金を弾く。
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