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蛇の舌先

「空っぽの要塞へようこそ」
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:2006:12/06/19:21  ++  Re:Road

 やる気をそそるトラックバックがあったのでザ・挑戦という事で。
 お題は「今年一番の思い出」
 続きが気になるのであれば以下からどうぞ。そうで無ければザ・放置でどうぞ。

 今年一番の思い出
 それは

 「生きて帰れた事」

 「突然そんな事言われても何がなんだかさっぱりだよ!お前は軍人かコマンドーなのか」
 と、お思いになる事でありましょうので説明させて頂きましょう。

 3月終わりから4月始めにかけて、約二週間、スクーターで北海道石狩市から島根まで地続きで旅に出た。
 何故かと言われたら理由は三つ。

 ①:4月頃に就職活動しようと思っていて(未だにうまくいかないわけだ!ハッ!)就職したらそんな大それた事出来ないなぁ、とかって思ってて「じゃあ出来るうちにやっちゃえよ」というノリがあった事。
 ②:何やるべぇかなぁとか密かに考えてみたら、そういやあ兵庫県から引越しして10年以上兵庫に行ってねぇや、という事。
 ③ちょうど本州の方に友人が沢山いて、中には「また帰ってくる」的な約束をした連中がいたという事。

 以上の理由を踏まえ、「でも、ただ単純に飛行機か何かで兵庫に行ってもつまらないな」と思った訳だよ。
 「金とちょっとばかし時刻をやりくりする機転があれば、誰でも出来るだろ」と。
 で、「車で行くっていうのはどうかなあ」とかも考えたんだけど、やっぱりそれも「ただ単純に車で行くのも、時間と地図を読む機転さえあれば誰でも出来るだろ」と思った訳だ。
 そこでじゃあ何があった(残された、と言い換えても可)かなぁ、と考えてみたら、スクーターがあった。
 それについて考えてみると、「根性があれば誰でも…出来るかなあ?」と、検討した手段の中で、始めて疑問符がついたので、「やってみるか」というノリになったという事です。 
 答えを探しに。

 当初の目的は石狩から函館へ、函館からフェリーで青森へ、青森から後は海沿いにまっすぐ行けば着くだろ、くらいの見通しでした。
 そしてそれは、「東京に辿り付くまで誰の支援も当てに出来ない」という事を意味していた。
 …そして、見通しは予想以上に暗かったのです。

 わかってもらえるだろうか?知らない道を街頭も無いまま行く恐怖を。
 わかってもらえるだろうか?山の中でガソリンが切れて、吹雪に打たれる絶望を。
 わかってもらえるだろうか?冷め切って痺れ、動かない身体の感覚を。
 わかってもらえるだろうか?そういった事全てを背負い、行かなければいけないという事を。
 
 「スクーターは冬場で使うとエンジンが凍る恐れがある」
 それを解決する手段は一つ。
 「エンジンを回し続ける」=「吹雪の中を突っ切る」
 そして、東京までそういう状況が続いたという事です。

 途中で逃げようかなあ、とも思った。
 「仙台までどうにかして辿り付けば、フェリーで北海道まで帰れる。それで全部終わりだ」と。
 だが、待っていてくれているんだとか、そもそも逃げるなんて「誰でも出来る」事だって思った気持ちの方が勝ったみたいだった。
 疑問符はまだ、ついたままだったという事です。

 見通しが暗かった以上に、甘かったというのもあった。
 それでも、蜘蛛の糸を手繰り寄せるカンダタのような心境で、なんとか東京に辿り付いた。
 つまり、エンジンは回り続けたという事です。
 オーヴァーヒートするまで。

 それというのも東京の友人が、
 「4月1日に花見プロレスをするから来たらどうだ」
 的な事を言っていたので、それに間に合わせるべく急いていたという事です。
 出発したのは3月28日。
 移動に使ったのは5日か?それが早いのか遅いのかよくわからんが、とにかく急がないと間に合わなかったし、急いでも花見プロレス自体には間に合わなかった。
 東京の道路は車走るようには出来てませんね、ハイ。
 とにかく、「急かしやがってこの野郎!」くらいの恨み言は言おうと思っていた、けど…。

 ありえないくらいにもてなされた。
 アホみたいに出てくる酒に、料理に、カラオケに、オヤツに、パンツに、話題に…。
 そして、「急かしやがってこの野郎!」は、ついぞ口にする事が出来なかった。
 
 そういう事があったので、東京から先は物凄く楽に感じられた。
 「行った甲斐があった」という事と、「まだ先がある」という事にワクワクしていたって感じ。
 ちょうど桜前線に逆らって走っていたという事もあり、桜が咲き誇る中走っていたという事もある。
 暖かかったし、心地よかった。
 肉体・精神共に。

 静岡で貰ったスープの味を覚えている。
 それから喋りながら歩いた町並みも。
 名古屋で頂いたうな重の味を覚えている。
 それからベッドの上でギターを弾いて歌った事も。
 兵庫で死ぬほど飲まされたビールの味を覚えている。
 …それから俺は、帰って来れたという事も。

 そして、北海道の友人が、「今出張中で島根にいるから来たらどうだ」と連絡を大阪辺りから貰っていた訳だ。
 そいつはそもそも俺に、旅で使っていたスクーターを売ってくれた友人、つまり元々の持ち主って事。
 そう、持ち主の所に返すべく俺はまた走る事を決めたという事です。
 海を越え山を越え、文字通り島を越え。

 前半は地獄だった。
 アレ以上酷い状況があったら教えて欲しいくらいだ。何度ガードレールに挟まれてミートソース若しくは大根おろしになると思ったか知れない。
 後半は最高だった。
 アレ以上いい思いが出来るならば教えて欲しいくらいだ。何度「生きててよかったなぁ」と思ったか知れない。

 そして京都のフェリーに乗って北海道へ。
 友人が、
 「小樽のフェリー乗り場に着いたら連絡をくれ。俺の住んでる辺りまで着いたら飯でも喰おう」
 みたいな話をしていたので、フェリーを降りる時、「まぁ寒い思いもそこに着くまでだ」くらいに思ってタラップを降りた訳だ。

 タラップを降りていった…何かこっちにカメラ向けてる奴がいる。
 あまつさえフラッシュかよ!スポンサーを頼んだ覚えは無いぞ。
 …とか思ってたら、住んでる町で待っているはずの友人がそこに居た。

 「はぁ?なんで?え?なんでいるの?」
 みたいな感じでパニくってた。だって本気で居るわけねぇって思ってたんだもの。
 次に思ったというか感じたというか込み上げたというか…
 …まぁ、泣きそうになった、という事です。
 粋な事しやがって…みたいな。

 最後の最後まで「生きててよかったなぁ」って思えるような旅だった。
 今年最高の…というより、「しばらくは」最高の思い出であり続けるであろう。
 いやあしかし長くなった…まぁ、以上を持ってお題を終了させて頂きますよ、と。

 そして、しばらくはっていうのは…またバイクで行く約束をしちまったって事さ!ハッハ-!

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