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蛇の舌先

「空っぽの要塞へようこそ」
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:2006:11/17/22:19  ++  ネヴァーマインド

 頭ではわかっていても、心がついていかない時がある。

 例えば、誰かと意見が合わなかった時。
 例えば、誰かと趣味が合わなかった時。
 例えば、誰かと思考が合わなかった時。
 例えば、誰かと行動が合わなかった時。
 要は、何がしか噛み合わなかった時。
 要は、理想と現実の隔たりを知った時。

 そういうので生まれた隙間みたいなので、悩み、苦しみ、嘆き、悲しんでいたりしたんだろうなぁ、と。
 それを埋めるべく誰かや何かに強要したり(こうあるべきなんだよ!とか)、色々動いてんだろうなぁ、と。
 そうだってわかった時、また悩んで、苦しんで…みたいな。

 その「隙間」を埋める手段として小説とか、絵画とか、映画とか、音楽とか、宗教とか…が存在しているのだとしたら?
 なら、きっとそれは良い事であり、哀しい事なんだろう。
 そう考える、という事自体、もしくはそれを埋めるべく行動するという事自体、誰か、もしくは何か、もしくは自分に「隙間」を設けている作業なのだとしたら?
 繋がっていながら、隙間が空いている。そういう状況も起こりうる?
 
 いずれにしろ、分け隔てなく時間だけは流れていく訳で。
 つまり、そういう作業を繰り返しながら、離れていったり、近づいて行ったりするのだろう。

 そして、今ここにこうして書いている事だって、俺の主観に過ぎない。
 必ずしも全ての人間が、そう感じる訳では無いのだろう。
 そこに俺はまた「隙間」を感じたりするのだろう。
 それは仕方の無い事だし、その意思も尊重するべきだ…とは思う。

 頭ではわかっていても、心がついていかない時がある。

 ただ、近づこうとする意思さえあれば、いつかは辿り付くのかもしれない。
 ただ、遠ざかろうとする意思があれば、どうしたって無理なのかもしれない。

 そういう事を、車を転がしながらふと考えていた。
 

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