:2024:04/25/07:56 ++ [PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
:2006:11/17/22:19 ++ ネヴァーマインド
頭ではわかっていても、心がついていかない時がある。
例えば、誰かと意見が合わなかった時。
例えば、誰かと趣味が合わなかった時。
例えば、誰かと思考が合わなかった時。
例えば、誰かと行動が合わなかった時。
要は、何がしか噛み合わなかった時。
要は、理想と現実の隔たりを知った時。
そういうので生まれた隙間みたいなので、悩み、苦しみ、嘆き、悲しんでいたりしたんだろうなぁ、と。
それを埋めるべく誰かや何かに強要したり(こうあるべきなんだよ!とか)、色々動いてんだろうなぁ、と。
そうだってわかった時、また悩んで、苦しんで…みたいな。
その「隙間」を埋める手段として小説とか、絵画とか、映画とか、音楽とか、宗教とか…が存在しているのだとしたら?
なら、きっとそれは良い事であり、哀しい事なんだろう。
そう考える、という事自体、もしくはそれを埋めるべく行動するという事自体、誰か、もしくは何か、もしくは自分に「隙間」を設けている作業なのだとしたら?
繋がっていながら、隙間が空いている。そういう状況も起こりうる?
いずれにしろ、分け隔てなく時間だけは流れていく訳で。
つまり、そういう作業を繰り返しながら、離れていったり、近づいて行ったりするのだろう。
そして、今ここにこうして書いている事だって、俺の主観に過ぎない。
必ずしも全ての人間が、そう感じる訳では無いのだろう。
そこに俺はまた「隙間」を感じたりするのだろう。
それは仕方の無い事だし、その意思も尊重するべきだ…とは思う。
頭ではわかっていても、心がついていかない時がある。
ただ、近づこうとする意思さえあれば、いつかは辿り付くのかもしれない。
ただ、遠ざかろうとする意思があれば、どうしたって無理なのかもしれない。
そういう事を、車を転がしながらふと考えていた。
- +TRACKBACK URL+