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蛇の舌先

「空っぽの要塞へようこそ」
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:2006:12/09/09:55  ++  ㌧デモ超常現象(超常・怪奇現象について)

 小学生の時に買って貰った「世界の超能力者」っていうタイトルの漫画と、くだんのタイトルの本(と学会)を読み比べている。まるで間違い探しをしているようだな、みたいな事を思いながら。

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 小学生~中学生の頃辺りに超常現象にハマっていた。
 確か小学校低学年辺りから「1999年で地球が滅亡するぜ!」的な話を見たり(ちびまるこちゃん等)、聞いたり(近所の同級生等)していたので、1999年に俺は高校生か…と逆算して、高校生で死ぬのか…と漠然に思ったりしていたものだ。
 でも、ソースが他の人が言ったり聞いたりした事という、なんだか伝言ゲームに近いような感じだったので、「伝言ゲームの末に“滅亡しました”じゃあんまりだ!」的なノリで色々アレしたのが最初だったように思う。
 
 「世界の超能力者」が手元にあるのもそういう経緯からだったように思う。
 だって“超能力者”の一人にノストラダムスがいるんだから。

 そして、なんだか黙っていてもそういう本が手に入るというか、そういう時期があった。
 「Kingくんこういう本好きだって聞いたから…」みたいな感じで、色々な人から物置に眠っている本など貰った事があったのだ。
 「世界の吸血鬼」とか、「世界の怪奇現象」とか、そういう類の本。
 ちなみに当時の俺は、
「運動が出来る癖に昼休みに図書館に入り浸る、大阪弁で喋る転校生」
という、控え目に言っても変わり者であり、そういうポジションにいた事を付け加えておく。
 今考えてみると、フリーマーケットとか祭りとかで出してもどーにもならないような古い本ばっかりだった。
 気軽にホイホイくれたのも、そういう理由があっての事だろう。

 そうやって貰った本を読みつつ、さらに興味を深めていった…訳なのだが、

 
「日本の奇病・水俣病!」
 「謎の病気・イタイイタイ病」
 「南米の奥地に伝わるわた吹き病」
 「都心部に出現する謎の一つ目女!」
 「トイレの花子さん伝説!」
 「口裂け女対策」
 こういう記事を見て、小学生ながら流石に「んん?」と思った訳だ。
 特に上記の二つは、「社会」の授業でリアルタイムに
「原因は工場から垂れ流される廃棄物である」とやっていただけに、「いやそれは奇病ではないだろう」とかを薄々感じ初めていたのだ。
 だがそれでもノストラダムスの大予言だの、超能力者だのの存在は信じてはいた。が、「インチキの記載もあるのだなぁ」とはその頃から感じ始めていたのだった。

 
 高校生くらいになってくると、超常現象に関する記載=インチキの記載
というなんともアレな公式が出来上がりつつあった。
 「それは○×なんだよ!」 「な、なんだってー!」とかも、無関係では無いと思う。
 小学生の日に逆算した年齢に至っても、俺は聖飢魔Ⅱが解散するかどーかでハラハラしていられるだけの余裕があった事もあり、余計にそんな感じがした。

 そして、この日記の表題の本とかを読んで疑惑は確信に変わった訳だ

 “超能力でズバリズバリと事件を解決する超能力探偵”は、実はホラばかり吹いていたとか、そういう幼い日に夢見た事をことごとく実例でもって打ち砕かれていく訳ですよ。
 “アメリカの農家に現れた謎のUFO。そこから下りてきた宇宙人に銃を打つと、ベコンベコンとバケツに雨が当たるような音がして、まったく歯が立たず。警察が乗り込んで調査した事実有り。これは宇宙人が地球に来た確かな話の一つである”という話も、現地に取材に言ってみると「実はあの時目撃者は酔っ払っていた」だの、「目撃者は四六時中酔っ払っていて近所の人間は皆迷惑がっていただの「“仕事”として調査はした、けどあの時彼等はかなり酔っていて、銃を使用した痕跡などは見受けられなかった」だのといった、蓋を開けてみたら“酔っ払いのたわごと”の域を出ない話だった、とか。

 つまり、子供達が胸躍らせるような超常現象に関する記載、というのは“酔っ払いのたわごと”レヴェルの話もごちゃ混ぜにして、背びれ尾ひれがついたもの…という事が出来る。
 今になって読み返すと、間違い探しをしているみたいで楽しめる、が、そういう記載をガチで信じていた時期もあったのだ。
 そして、超常現象に関する話というのは、大抵が奇妙な話題を振っておきながら、その後投げっぱなしである事が実に多い。これは事実なんだよ!とほのめかしはするが、いざ追跡してみると“酔っ払いのたわごと”という事が実に多い気がする。
 これがどのくらいへヴィな事かといえば、
オウム真理教が何をしたかを言う事に等しい。
 
そういう事象を丸々信じ込んだままの視点で調査すると、至る確信・思想もそういうモノになる、という事です。

 幽霊の正体見たり~っていうことわざ通りの事象だな、と。
 信じていたって事もあって、笑えはしないが楽しめている。
 
 だが、それでも。
 そういう尾ひれ背びれがつく話のうちのどれかは本物かもしれない。
 そう思うのも未だやめられないというのも事実。
 火が無い所に煙は立たない、とも言うじゃないか。
 “空飛ぶ円盤”“超能力者”“予知・予言”
 こういった怪奇現象のほとんどが
“酔っ払いのたわごと”であれ、そう思うに至った“何か”はきっと何処かにあるはずだ。
 例え想像の産物に過ぎなかったとしても、逆に言えば、そういう想像を掻き立てるような“何か”が。
 そう思う、いや、“願う”に近いかも知れないが、それを未だやめられないというのもまた事実。
 陥らないように気をつけながら、そういう視点で接していこうと思うのだった。

:2006:12/06/19:21  ++  Re:Road

 やる気をそそるトラックバックがあったのでザ・挑戦という事で。
 お題は「今年一番の思い出」
 続きが気になるのであれば以下からどうぞ。そうで無ければザ・放置でどうぞ。

 今年一番の思い出
 それは

 「生きて帰れた事」

 「突然そんな事言われても何がなんだかさっぱりだよ!お前は軍人かコマンドーなのか」
 と、お思いになる事でありましょうので説明させて頂きましょう。

 3月終わりから4月始めにかけて、約二週間、スクーターで北海道石狩市から島根まで地続きで旅に出た。
 何故かと言われたら理由は三つ。

 ①:4月頃に就職活動しようと思っていて(未だにうまくいかないわけだ!ハッ!)就職したらそんな大それた事出来ないなぁ、とかって思ってて「じゃあ出来るうちにやっちゃえよ」というノリがあった事。
 ②:何やるべぇかなぁとか密かに考えてみたら、そういやあ兵庫県から引越しして10年以上兵庫に行ってねぇや、という事。
 ③ちょうど本州の方に友人が沢山いて、中には「また帰ってくる」的な約束をした連中がいたという事。

 以上の理由を踏まえ、「でも、ただ単純に飛行機か何かで兵庫に行ってもつまらないな」と思った訳だよ。
 「金とちょっとばかし時刻をやりくりする機転があれば、誰でも出来るだろ」と。
 で、「車で行くっていうのはどうかなあ」とかも考えたんだけど、やっぱりそれも「ただ単純に車で行くのも、時間と地図を読む機転さえあれば誰でも出来るだろ」と思った訳だ。
 そこでじゃあ何があった(残された、と言い換えても可)かなぁ、と考えてみたら、スクーターがあった。
 それについて考えてみると、「根性があれば誰でも…出来るかなあ?」と、検討した手段の中で、始めて疑問符がついたので、「やってみるか」というノリになったという事です。 
 答えを探しに。

 当初の目的は石狩から函館へ、函館からフェリーで青森へ、青森から後は海沿いにまっすぐ行けば着くだろ、くらいの見通しでした。
 そしてそれは、「東京に辿り付くまで誰の支援も当てに出来ない」という事を意味していた。
 …そして、見通しは予想以上に暗かったのです。

 わかってもらえるだろうか?知らない道を街頭も無いまま行く恐怖を。
 わかってもらえるだろうか?山の中でガソリンが切れて、吹雪に打たれる絶望を。
 わかってもらえるだろうか?冷め切って痺れ、動かない身体の感覚を。
 わかってもらえるだろうか?そういった事全てを背負い、行かなければいけないという事を。
 
 「スクーターは冬場で使うとエンジンが凍る恐れがある」
 それを解決する手段は一つ。
 「エンジンを回し続ける」=「吹雪の中を突っ切る」
 そして、東京までそういう状況が続いたという事です。

 途中で逃げようかなあ、とも思った。
 「仙台までどうにかして辿り付けば、フェリーで北海道まで帰れる。それで全部終わりだ」と。
 だが、待っていてくれているんだとか、そもそも逃げるなんて「誰でも出来る」事だって思った気持ちの方が勝ったみたいだった。
 疑問符はまだ、ついたままだったという事です。

 見通しが暗かった以上に、甘かったというのもあった。
 それでも、蜘蛛の糸を手繰り寄せるカンダタのような心境で、なんとか東京に辿り付いた。
 つまり、エンジンは回り続けたという事です。
 オーヴァーヒートするまで。

 それというのも東京の友人が、
 「4月1日に花見プロレスをするから来たらどうだ」
 的な事を言っていたので、それに間に合わせるべく急いていたという事です。
 出発したのは3月28日。
 移動に使ったのは5日か?それが早いのか遅いのかよくわからんが、とにかく急がないと間に合わなかったし、急いでも花見プロレス自体には間に合わなかった。
 東京の道路は車走るようには出来てませんね、ハイ。
 とにかく、「急かしやがってこの野郎!」くらいの恨み言は言おうと思っていた、けど…。

 ありえないくらいにもてなされた。
 アホみたいに出てくる酒に、料理に、カラオケに、オヤツに、パンツに、話題に…。
 そして、「急かしやがってこの野郎!」は、ついぞ口にする事が出来なかった。
 
 そういう事があったので、東京から先は物凄く楽に感じられた。
 「行った甲斐があった」という事と、「まだ先がある」という事にワクワクしていたって感じ。
 ちょうど桜前線に逆らって走っていたという事もあり、桜が咲き誇る中走っていたという事もある。
 暖かかったし、心地よかった。
 肉体・精神共に。

 静岡で貰ったスープの味を覚えている。
 それから喋りながら歩いた町並みも。
 名古屋で頂いたうな重の味を覚えている。
 それからベッドの上でギターを弾いて歌った事も。
 兵庫で死ぬほど飲まされたビールの味を覚えている。
 …それから俺は、帰って来れたという事も。

 そして、北海道の友人が、「今出張中で島根にいるから来たらどうだ」と連絡を大阪辺りから貰っていた訳だ。
 そいつはそもそも俺に、旅で使っていたスクーターを売ってくれた友人、つまり元々の持ち主って事。
 そう、持ち主の所に返すべく俺はまた走る事を決めたという事です。
 海を越え山を越え、文字通り島を越え。

 前半は地獄だった。
 アレ以上酷い状況があったら教えて欲しいくらいだ。何度ガードレールに挟まれてミートソース若しくは大根おろしになると思ったか知れない。
 後半は最高だった。
 アレ以上いい思いが出来るならば教えて欲しいくらいだ。何度「生きててよかったなぁ」と思ったか知れない。

 そして京都のフェリーに乗って北海道へ。
 友人が、
 「小樽のフェリー乗り場に着いたら連絡をくれ。俺の住んでる辺りまで着いたら飯でも喰おう」
 みたいな話をしていたので、フェリーを降りる時、「まぁ寒い思いもそこに着くまでだ」くらいに思ってタラップを降りた訳だ。

 タラップを降りていった…何かこっちにカメラ向けてる奴がいる。
 あまつさえフラッシュかよ!スポンサーを頼んだ覚えは無いぞ。
 …とか思ってたら、住んでる町で待っているはずの友人がそこに居た。

 「はぁ?なんで?え?なんでいるの?」
 みたいな感じでパニくってた。だって本気で居るわけねぇって思ってたんだもの。
 次に思ったというか感じたというか込み上げたというか…
 …まぁ、泣きそうになった、という事です。
 粋な事しやがって…みたいな。

 最後の最後まで「生きててよかったなぁ」って思えるような旅だった。
 今年最高の…というより、「しばらくは」最高の思い出であり続けるであろう。
 いやあしかし長くなった…まぁ、以上を持ってお題を終了させて頂きますよ、と。

 そして、しばらくはっていうのは…またバイクで行く約束をしちまったって事さ!ハッハ-!

:2006:11/28/11:40  ++  「漫画」という「商品」について

 徹夜生活に終止符を打ちました。おはようございます、そしてもうそろそろでこんにちはですね、NAKED KING-Vです。

 面接を受けて来ました。
 それは一時間以上の質問攻めだった。正直参る、が、筆記試験をパスしてここまで来たのだと言い聞かせ最後まで座りましたとも、ええ。
 結果は一週間以内という事で。受かっていれば良いなぁ、給料いいし。
 「一週間以内」の中暇な訳だ…職探しもちょっとやっておこうっと、滑り止めに。

 携帯でブログいじってたら昨日の記事が途中ぶっ飛んでしまったよ。なんてこったジーザス。
 しょうがないから非公開にして後で追記とか修正とか加えて書き直す事にするのだった。まったくもう。
 下手にいじくるもんじゃないね!ページのレイアウトまで変わっちゃったし。書き終わったら修正しようそうしよう。
 
 ページのレイアウトといえば、昨日書いて自分で読んでみて思った事が一つ。

 「読みづらい」

 灰色に黒字は無いよ。そこな辺も修正するか、レイアウトを考えるかどーかしなくては。
 読みやすくする事が出来るのにしないなんて、アホのやる事だなぁ、と。

 ワードのシステムが結構「使える」という事もわかったし(お前は職業訓練で何を学んでいたんだ、と)、これからは「目に優しく、読みやすいLOGを!」スローガンにやっていこうかと思う次第です。

 今日は少年ジャンプ、及びその他の漫画の事について思う事を書こうかな、と。
 「読んでもいいかなぁ」って人は右下をクリッククリック、そうでない方はまた今度。

 

 という訳で色々試してみようという事です。何がって右下クリックとか、レイアウト変えたりとか、フォントの色・大きさ変えたりとか。「タックルするまでそいつが倒れるかどーかはわからない理論(俺様理論その1)」ですね。

 本題に入りましょう。

 まず、タックルと言えば猪狩対十文字(アイシールド21)の今後の展開が気になります。十文字なんて登場当時はタダのチンピラだと思っていたのに、今や読者の支持を広く集める、言動・行動共に渋く熱血ラインマンになっているという事実にビツクリしました。時の流れは速いもの…。
 王城戦が連載開始時には、ハイライトシーンになると思っていただけに余計気になります。まさかここで終わりだなんて言わないでくれよ…。

 終わりだなんて…と書いて、前々から感じてたことを一つ。最近のジャンプはすぐ切られるか長期に渡って(時にグダグダになったのうと思われる事も)連載するかのどちらかですね。
 秒殺か長期戦か!…どちらも作者の皆様の精神・肉体・経済的にヘヴィな事と思われます。アニメとかカードとかになったら辞めるに辞められないでしょうし。「本来描きたかったモノ」を描く環境が今のジャンプにあるのかどうか、いや、そもそも昔からあったのかどうか少し心配です。
 「もうちびっとだけ~」が、どれだけ長くなった事か。どれだけ未だに信奉者とお金を集めてきた事か。結果面白くなればいいんだろうけど、得てして本題から逸れたモノである事は否めません。そういう事態になった時、実際創る側の視点から観るといかがなものでしょう?「売れればいい」と思う方もいれば、「こんなはずじゃなかった」と苦虫を噛み潰すように租借する方もいるのでしょう。
 本題にフォーカスするか、売れ筋にフォーカスするか、そのどちらかを無視しないと創作活動なんて出来ないんだろうか?資本主義社会の縮図のようではありませんか。「商品」としての価値がある限り長く続けさせ、息切れしたらポイ。後には疲弊した作家が残る…なんてことだ。

 昔はコミックス10巻超えたら十分「長い」だなんて思ってたんですが、今じゃ導入にそれくらい使う漫画も少なくないようにも思います。
 銃夢ラストオーダーは、現在出てる巻数で無印銃夢は終了してますし、ジョジョだって第一部、二部は数にしてコミックス4~5巻くらいですし、ベルセルクは「触」で…まぁ、とにかく、売れ筋にフォーカスする事…すなわち、コミックスやそれに付随するモノ(アニメやらフィギュアやらカードゲームやら家庭用ゲームやらその他色々)をボンボン出して、お金儲けをする・企むのは決して悪い事ではなく、それもゴールの一つであり、もっとも手近にあり文字通り利益のある、具体的な目標なんでしょう。何よりファンは確実に買う訳だしね!
 が、売れ筋にフォーカスした「商品」として、価値が続く限り続けさせるのではなく、本題にフォーカスした「作品」として想像して、本筋をまとめてスッキリさせて、その上で更に発展させていった方がより良い時・事・物語・感情等が生まれると思うのです。
 何より、そもそもその為に、「創作活動」があるはずなのですから。

 ひょっとしたら同人活動等のレヴェルが年々上がっているのはこういった事象もあるのでは無いだろうか。プロのレヴェルに達している、もしくは近しい作家さんも沢山いる。けど商業にすると、望む・望まないに関わらずこういう形で「加工」されるという嫌いもあるのでしょう。商業誌と同人誌を行ったり来たりしてる作家さんはそういう事を考えているのかなぁ、と。ファンだったら買うしね、なんであれ。
 で、年々レヴェルが上がり、かつそういう文化が見直される風潮の中、同人→商業へと華麗なるステップアップ(?)を図った作家さんもなんだか増えてきているというかそんな気がします。昔は「うまいエロ漫画家」くらいの印象しか無かった大暮維人が今やマガジンのエースになったりとか。
 商業誌は大らかにになったのか、利益に貪欲なのか判断しかねる所です。が、どんな形にせよ理解(マーケットと言い換えても差し支えないかもです)が広がって風通しが良くなったという事に俺は賛同します。
 相互の理解から、可能性は始まり、広がっていくのですから。

 だから秒殺とは言わずもう少し長い目で、また、長期戦の泥試合を望むのではなく、もっとコンパクトに、必要以上に蛇足・脱線する事なくまとめたり、作家さんにとって自由な風潮になれば良いのになぁ、と。
 …それは漫画の「商品」としての側面からは矛盾しているのでしょう、が、それでも、それだけの才能が商業誌に認められて、その上で創作しているというのもまた事実であり、そういう「競争」のようなストレスで才能が翳るのは、「読む側」として甚だ遺憾であるという事です。
 ただでさえ「絵柄が受け付けられない」とか「物語がちょっと…」とか「グロ過ぎるんじゃね?」とか、枝葉のような所に「読む側」はフォーカスしがちでもあります。そういったストレスが常に付きまとう上に、軽減しようと思えば出来そうな重圧を増やしてどうするんだ、と。
 …秒殺したくなるような漫画もまた連載されていたりするのは否めないけど。
 「本来描きたかったモノ」を制限されるか、一部分だけ抜き出されて強調されるか、妥協せざるを得ないってのは、モノを創る側にとってどれだけ耐えがたい苦痛かを考えると、非常にへヴィです。

 何より、「プリンセス・ハオ」の悪夢は繰り返して欲しくは無いのです。
 
編集は一体なにを考えているんですk

 従って、アイシールドの話に戻れば、王城戦で終わってもそれはそれでスッキリするような気もします。ダイナソーズの我王(だっけ、あの番場さんを病院送りにしたでかいの)の今後や、NASAエイリアンズは一度きりかよ!とか、「本気になったもっとすげぇ神龍寺ナーガ」とか、そういう気になる伏線なりなんなり残っている気はしますが、その辺脳内保管出来るようなラストにすれば無問題!と。

 …脳内保管といえば、テニスの王子様…貴方は何処へいくのですか。
 最早彼等(作者・編集者共に)は、俺の脳内で予想出来うる事を完全に超え、ある意味で本当に「無我の境地」に辿り付きつつあるような印象があります。ロケットで突き抜けろ!という事ですか?編集は一体なにを考えているんですk
 なんだか作者の頭の中を直接覗いている気がしなくも無い。COOLだぜ…。「本来描きたかったモノ」を描き過ぎだろ!何この例外(H×Hも違う意味で例外な気がする)みたいな。
 行き先が楽しみであり、不安であり、そもそも何故これが連載されているのか不思議であるという、なんともアンヴィヴァレンスな印象を抱いている漫画です。
 そして、なんだか気が付いたらテニスの王子様だらけですね。文房具から映画にいたるまで、商品になってない商材を探す方が難しいと思われます。「テニスの王子様ジャンボジェット」が出てきてももう驚かないぞ!乗りたくないけどね。


 前は普通にテニスしてた気がするのに、時の流れは速いもの…。 まぁ、明らかに「商品」の枠に属するであろう漫画なのに、理解出来ないような(嫌な意味で電波と言い換えても可)展開が続いているこの状況をもう少し楽しもうと思います。 

 以上、今週及び昨今のジャンプ、及びその他の漫画諸々に対する考えをまとめて置くのでした。
 毎週一応読んでるお!と、こういう成分もあるんだお!というアッピールも兼ねて。

 …俺は漫画が好きなんだよ!文句あるか!

 

:2006:11/23/12:35  ++  「負の回廊」

 カツン カツン
 靴音だけが虚しく響く中、わたしは下りていく。
 カツン カツン

 石造りの壁をぐるりと囲う、かつて権力でもって城下を支配した先人達の肖像。
 血の粛清によって得た栄華を纏い、殺戮に燃える瞳がわたしを焦がす。
 略奪の果てに築き上げたに過ぎず、痛みは今もなお記憶され、伝えられていく。
 そう、全ては灰に還るべきなのだ。
 螺旋の果てに得たモノは、茨に覆われた城砦のみ。
 わたしは捕われているに過ぎず、結んだ実は熟れ、今、ここに落ちる。
 一瓶のワインも手に余る書物も、ついぞ芽吹く日を創る事は出来なかった。
 そう、全ては塵に還るべきなのだ。

 カツン カツン
 月明かりが虚しく照らす中、わたしは下りていく。
 カツン カツン

 「我思う、故に我有り」
 ならばわたしが永らえている理由は、どうしようも無い焦燥だけという事になる。
 それを繋ぎとめるモノは、目に見える全てから剥ぎ取った亡骸。
 宿命を揺りかごとするなら、わたしはその揺れ幅の中で蠢く業。
 その螺旋から抜け出す事は叶わない。心地よい痛み。ゆらり、ゆらり。
 ならばわたしが願うのは、せめて安らかに眠る事。
 亡霊のようにそびえ立つ古城と、喰らいつくような茨の悪夢。
 痛みは今もなお記憶され、伝えられていく。ぎりり、ぎりり。
 
 カツン カツン
 足元に跪いた漆黒へ、わたしは下りていく。
 カツン カツン

 そう、全ては灰に還るべきなのだ。
 そう、全ては塵に還るべきなのだ。

 カツン カツン
 棺に最後の釘を打ち込み、わたしは下りていく。
 カツン カツン

:2006:11/19/20:17  ++  Dream Theater.

 友人の所で「子供の頃の夢は(そしてどうなった?)」というお題があったのでやってみる事に。
 何事もまず挑戦ありきであり、タックルするまでそいつが倒れるかどうかなんてわからないさ。
 ノリとしては、そんな感じ。

 「宇宙飛行士になりたい」
 そんな事を思っていた。小学生の時は。
 何故かっていうと、丁度毛利さんが宇宙へ行って、そして帰ってきた、って時期に重なって、「すごいなあ」と子供心に思っていたから。
 ある意味、もっとも困難で、そして意義のある「旅」だと、宇宙開発については未だにそう思っている。
 蛇足ながら、それだけに…後にドイツのV1、V2ロケットに関する文献、つまり宇宙開発の口火を切ったのは何であったか?という事を知った時は、悪いジョークだと思ったものだ。
 キリスト教についてもそう思うんだが、どうしてこう世の中には「悪いジョーク」的な出来事に満ちているんだろうね?教師が「指導」と称して暴力を振るったり、「自由の為に」って言って、誰かを殺したりしてさ!
 ・・・アメリカ出身のエイズにかかってる子に、「僕の夢は宇宙飛行士です」って手紙送ったっけな・・・そういえば。
 そう、どっかに文章を初めて公開した夢でもある。
 「公開した」っていうのは・・・結果的にそうなった、って感じなんだけど、そのエイズの子の本が出版されて、それに俺の手紙が載った、って事があったんだ。死ぬほど字は汚いわ、夢の内容は内容だわで、今読むと赤面モノだ。だから見かけても読まないでくれ。

 それから、少年野球チームに所属していた事もあって、野球選手になりたい、とかも思っていたっけ。
 もっともこれは、周りのメンバーが口を揃えてそう言うもんだから「じゃあ俺も」的な夢だった。つまり、真剣に「野球選手になってやるよ、絶対!」とか、そう思っていた訳では無い。

 中学に上がってからは…そういう事について考えてはいなかった。
 いや、考えられなかった。
 ずっと先に広がっている(かもしれない)夢より、目先の現実が辛すぎた。

 高校の頃は、結構ガチで「プロレスラーになりたい」って思っていた。
 「進学が出来ない」「就職も考えられない」なら、リングの中で華麗に舞う「彼」のようになりたかったのだ。
 結構ガチっていうのは、アルバイトして、トレーニングして、お金貯めて(今は無き)FMWに入るぞ!くらいは思っていた。
 だが、アルバイトを始めて俺自身が現実に埋没していったっていう事と、親父の説得…「自分みたいな事になってもいいのか?」とか、を長々と毎日毎日毎日毎日話されるうちに、いつの間にかそういう気持ちは消え去っていた。
 つまり、当時から意思はそんなに強い方じゃ無かったわけだ。
 蛇足ながら、俺が今現在も多少はタフなのも、この頃のトレーニングの賜物であろう。

 そして今、どうなったか?
 ご覧の通り、って感じかな。
 俺は重力に未だに縛られているし、ホームランをぶちかましてもいない。
 先の日記の内容と重なるが、そういう機会を失ったという事もある。
 今目の前にあるのは、夢の残骸であり、子供の頃の俺が見たら絶望するであろう、俺の姿。
 少々行き過ぎな表現かも知れないが、自分自身について考えるとそういう事になる。
 
 以上までの文章に代えて「お題」を終了させて貰う。
 これから下は、「お題」をこなした感想、及び意気込み。

 夢の残骸、か。
 さっきも書いたけど、そろそろ勝たせてくれてもいい頃だ。
 砕け散った夢は、多分もう叶わない。ならばまた夢を作ればいい。
 廃材で誰かをぶん殴ったり、何かをぶち壊したりするよりずっといい。
 何より、今になってようやく、自分自身について真面目に考える事が出来てきているのだから。
 何事に対しても投げ槍だった事もあった、が、投げたならまた拾いにいけばいい、って気が付いた、そんな感じ。
 つまり、砕け散った残骸で、俺はまた夢を構築しようとしているのだ。
 諦める事は美徳では無い、そういう事にも気づいたのだ。「あの旅」で。

 叶うかどうか、なんてわからないさ。
 ただ、確実に言えるのは「叶えよう」と思い、進まない以上は絶対に「叶うかどうか」で終わるのだ。
 そして、そろそろ勝たせてくれてもいい頃だが、勝ちたい以上は勝負しなければいけない。
 そのリングを探し、対戦相手を探し、その為に鍛えなければ。

 何事もまず挑戦ありきであり、タックルしてみるまでそいつが倒れるかどうかなんてわからないさ。
 ノリとしては、そんな感じ。

 以上をもって、「お題」の感想、及び意気込みにさせて貰おう。
 
 「地球は青かった。だが、神は居なかった」